大石太郎のOMOI
TARO OHISHI PROFILE

きっかけは、
伊達と僕から始まった。

 僕が岡山に帰って来たのが2012年。1年後くらいに中村会(*)の飲み会で初めて伊達と会って、しだいに意気投合して…というのがそもそものきっかけです。
 二人で色々話していく中で伊達が「診療と経営を切り離したい」って言うようになって。彼的にはこっちに戻って来て(院長として)臨床をやってみてそういう思いが強くなったかと思うんですけど、その時僕はまだ副院長のポジションだったので。
 院長になったのは2015年の10月。初めて院長職をやってみて、やればやるほど自分の時間がなくなると感じました。
 僕のいちばん根っこにある思いは「岡山の地(じ)を上げたい」ということ。岡山を日本一どうぶつが住みやすい地域にしたい、そのためには岡山の一次診療レベルの底上げをしなければ、と。オカべッツ(*)を起ち上げたのもそういう理由からです。
 そんな思いの僕らがいて、そこに小野先生を絡めようって話になって。彼はもともとリクルートサービスをやりたいというのがあったので。それから藤岡先生とも話をするようになって、藤岡先生が「じゃあ江畑と橋本にも話してみようか」と。
 最初は、病院合併、グループ化を構想してたんですよ。何か大きなことをしようとすると、個人病院だと難しい。藤岡先生のアイビーは岡山の中心的な動物病院なので、そことつながることで、できることの幅が広がったり、それぞれが抱えているジレンマを統一できたりするだろうと。ただ、具体的に話を詰めていく中で、〝病院〟で動くとなると、ちょっと微妙だなと。グループ化することで僕らにはメリットが結構あるけど、アイビーさんにはないよね、と。従業員のこととか、経営的なこととか。あと、病院単位でとなると江畑先生と橋本先生が藤岡先生の下になることになる。そんなこともあって、〝個人〟の集まりでやっていこうと決めました。

*中村会 : 中村ペットクリニック・中村金一先生主宰の勉強会。2か月に1回の開催で回を重ね、40回を突破。「中村先生は一匹狼でトカゲもヘビも診るワイルドライフみたいな人。岡山の獣医療を牽引してきたキーマンの一人です」

*オカべッツ : 岡山県の臨床獣医師のための勉強会。学閥、派閥、上下関係一切無し。肩肘張らずに集まってラフに情報交換したり勉強したりディスカッションしましょう!という大石太郎の提唱でスタート。2015年の発足以来、2か月に1回のペースで開催。「毎回70名くらいの先生に連絡してます。飲み会だけ参加の先生もいるんですけど(笑)、40~50名来てくれて出席率いいんです」

開業医がいて、
二代目がいて、
勤務医がいて。

 OMOIみたいな発想っていうのは、やっぱり伊達も僕も二代目だから出てきたのかなとは思ってます。うんと金儲けしたいとか、ないんですよね。それよりは人のためとか地域のためとか、そっちで生きたい。そんなふうに思えるのは、まぁ恵まれてるからなんでしょうけど。勤務医の場合は武功を上げることが仕事になりますしね。でも勤務医の声ってのは僕らすごく入れたくて、そこは大事にしているところで。勤務医でも江畑先生と橋本先生では、またタイプが全然違う。橋本先生は専門志向で「岡山って言えば腫瘍の橋本くんでしょ」って言われ始めてるし、江畑先生はバリバリの勤務医志向で自分なんてまだまだみたいに自己評価が低くてケツも重たいんですけど(笑)、自信を持ってやっていけば昇り龍のように上がってく人だと思うんですよね。
 藤岡先生は同じ二代目ではありますけど、あの人の場合は自分の代であそこまで成し遂げたっていうのがほんと偉大でその経験がすごいなと。

キングダムからの
「飛信会」

 メンツが揃って、話し合いをするようになって、会の名前をどうするか。その頃ちょうど伊達がキングダムにハマってて、僕も感化されて、藤岡先生に全巻買ってくれって頼んでアイビーの2人と小野先生にも読ませた。そこからのネーミングです。
 キングダムは中華統一の話なんですけど、伊達ちゃんは「大将軍になりたい」って(笑)。藤岡先生は、主人公にアドバイスして成長させて途中で死んじゃう王騎将軍って登場人物がいるんですけど(笑)、ちょうどそういう存在なのかなと。
 会は、2016年12月の発足以来、月2回位のペースで集まってます。みんな診療が終わった後、夜9時頃にうちの病院かアイビーに集まって2時間くらい会議して、その後は居酒屋に移動して二次会っていうのがパターンですね。
 結成して最初の会議では、各自が意見をバーッと出し合って。その時はグループ化構想が前提としてあったので、リクルートとか人材育成のこと、電子カルテの共有化とかネットワークのこと、放射線とか高度医療機器のこと、臨床のスキルアップや環境づくりのこと、ひいては殺処分ゼロまで。それをテーマ別に分けて、部門を立てて、担当も決めて。大きなところでは「夜間救急の仕組みをつくる」ことですね。慈善事業ではなく、きちんとしたビジネスモデルとして。そのためには人がいる、だからまずはリクルートを、みたいな流れです。

OMOIに
込められた
オモイ

 みんなで出資して会社をつくろうということになって社名を考えたんですけど、当初はアニマルヒューマンコネクトでした。藤岡先生の思想の影響で、人の社会に貢献していかねばみたいなのが強かったんだと思うんですけどね。そのうちにアニマルが先か?ヒューマンが先か?みたいな感じになって、このネーミングでいいのかってなった時に伊達が一言、「あれ? これって俺たちのオモイが集まってんだよね?」と。それでもう、みんなしっくりきて決まりました。
 こういう活動を考えた時、藤岡先生から得た視点とか考え方の影響というのは大きいです。彼は「この国では小動物の獣医師という職業の社会性が低い」と常々言っていて、それを高めていくためには人の社会に影響を与えるくらいのことをしないといけないと。昔はそれこそ犬猫を扱うような仕事は、国家資格を取ってまでやることじゃないみたいに云われていて、大動物、軍馬とかを上に考える時代が長かった。この国で小動物の獣医師が人に寄与するとしたら何があるかと考えると狂犬病予防ぐらいしかなくて。もちろん動物医療はやってるわけですけれども、たとえば動物医療の学術で得たこと自体が人の医療に生かせるようなレベルにまでやっていけるようでないとっていう考えです。僕らから人の医療に何か還元するものがないと、僕らはこれからもそこまでのハコの中でした動くことができないと。それを超えて、ブレイクスルーしていくものがないと次は見えないんじゃないか、社会的な地位も上がんないんじゃないかと。

めざすは
十年後の岡山統一

 飛信会でみんなと顔を合わせるたびに「燃える」感じがします。変な話、若干生き甲斐というか(笑)。この10年である程度形を作って、10年後には岡山を統一しておきたい。そして次の10年でつなぐことを考えていきたい。
 僕は岡山に骨を埋める気ですけど、僕に人が集まってくれるっていうのは「岡山が好きだから」っていつも言ってるからだと思うんですよね。岡山の人間が好きだから、岡山の獣医師が好きだから、て言ってる人間だから信頼してくれてるんだろうなって。この前の細井戸先生のセミナー(*)にしても、何で来てくれたかって訊くと「太郎ちゃんと橋本ちゃんが『岡山を、岡山を』って言ってたからだよって。地域を大事にするってことはものすごく大事だから、そこの底上げをしたいってことなら手伝ってあげようということで来てくれたんです。
 僕は「みんな仲良く」が大好きな人間。祭りも好きで、学生時代はYOSAKOIソーラン(*)で代表もやってました。ただ、OMOIをやっていくためには、そういうことだけではもちろんダメで。以前、先輩と話していて言われたんですけど「あなたがいくら夢を語ったり、人のために生きたいとか言っても、獣医師として優れていなければ誰もついていかないよ」と。だから僕は、一生勉強し続けていかないとと思ってます。

*細井戸先生のセミナー: 2018年1月14日に開催されたOMOIセミナー第二弾〈細井戸大成と語る小動物医療のこれまでとこれから〉。5時間におよぶシンポジウムながら参加者の熱いセッションで感動の嵐。「細井戸先生は僕の憧れ。昔からカバン持ちをやりたいと思ってました」

*YOSAKOIソーラン: 高知のよさこいと北海道のソーラン節がミックスして生まれたチーム群舞の祭り。札幌の初夏を彩る風物詩。

獣医の仕事は
人生で唯一〝継続〟
できていること

 獣医師になって11年目。これまでの10年、これからの10年、このタイミングにちょうどOMOIが始まって、大きな節目、そうですね。僕は自分の中で一番難しい人生の課題だと思っているのが〝継続〟で。今までの人生で唯一続いているのが獣医なんです。
 小学生の頃はバスケと囲碁と卓球と水泳と将棋。中学になってからは陸上、高校は野球、大学はYOSAKOI、サッカー。全部中途半端なんですよね。だから僕はこの獣医って仕事を続けていくのが自分に与えられた課題なのかなと思っていて。
 獣医の仕事は、おもしろいです。やればやるほど勉強しなければいけないことが出てくる。勉強するのは僕は朝です。早朝4時とか5時から。寝ないと脳みそ働かないし、家庭もあるんで。夜型の人もいますよ。橋本先生なんかは家にも帰らずたぶん徹夜ですね。伊達ちゃんは…いつ勉強してんのかよくわかんないんですよね(笑)。
 経営者になって3年目、経営もそれなりに楽しいのは楽しいなと。会社ってこういう風に動いてるんだな、というか。スタッフ教育なんかはほんと難しいですけどね。でも僕が院長になってから看護師のトップのスタッフもだいぶ変わってくれた。病院の中に笑顔が増えました。母は創業者ですし、ジャンヌダルクみたいな人だったんで、いや信長かな(笑)、いずれにしてもそういう勢いがあったからここまで来れたというのがあるでしょうね。岡山の今の獣医療の形をつくったのも母親世代。動物愛護フェスティバル(*)をつくりあげたのもそうですし。だから岡山の獣医療は30年周期で大きく動いている感じです。

*動物愛護フェスティバル : 岡山市獣医師会と岡山市が主催する動物愛護週間の啓発イベント。動物愛護精神の普及啓発を目的に動物園を無料開放して毎年開催。

岡山を〝どうぶつと幸せに暮らせる国〟に

 動物病院、これからどうなるかって考えると、僕は数は今以上増えなくていいかなと思ってて。数増えると過当競争になるから、いらんことするじゃないですか。お金儲けの人達も入って来る。それがしにくいようにみんなで固めておきたい。
 開業したい人にはしてもらえばいいし、どこが商売敵になるとかそういうのじゃなく、こっちからオープンにしてどんどん情報教えちゃおう、「開業の計画、一緒に練ろう!!」みたいな(笑)。そんなこと、どこもやってないじゃないですか。でも仲良くなって結束固めた方が、結局は自分達にも飼い主にもどうぶつにとってもいいと思うんですよ。あと、開業したい人と廃業を考えてる人のマッチング、それは小野の仕事なんですけどね(笑)、それもやりたい。リクルートにもつながっていきますよね。
 僕たちは単純に動物をしっかり助けることに専念できる方がいいので、動物が暮らす豊かな社会にできるよう頑張って、あとは喰えるだけの金があればいいやと。その中で核となる病院は残っていかなければならないと思うし、それは岡山ではアイビーだろうと。アイビーという病院があったから岡山の診療レベルというのは急激に上がったわけで。それまではMRIもなかったし、CTだってそんなにありませんでしたから。
 僕は地元が好きで、矢坂のまちが好きで。新病院になって場所は矢坂ではなくなりましたけど、矢坂の亡くなったばあちゃん家に今でも朝、猫に餌やりに行ってます。今ちょっと考えてることがあって、ドッグランとかシェルターとか、できることから地元でやっていきたいなと。
 将来的には全国から「どうぶつと暮らすために岡山に移住する」みたいなことになっていけばいいですね、最高ですね。海あり山あり、岡山はほんと環境に恵まれてる。僕は、20年後とか、最終的にはみんな〝就農〟すればいいと思ってて(笑)。そろそろ獣医引退しようかなって人が桃農家手伝うとか、土と交わりながらそういうことができたら素敵だなと思っています。